琰(えん)と丈吉(じょうきち)が一緒に暮らし始めて、3度目の夏が来る。
「琰、こっちや」
「せやったか」
今日は二人そろって、墓参りに来ている。

蝉時雨の降る杉木立を抜けると、ひらけた場所に出る。琰は懐(ふところ)から手ぬぐいを出して、
顎につたう汗をぬぐう。
ここに琰の両親の墓がある。
同じような小さな墓石の並ぶ墓地で、琰は自分の両親の墓の場所が分からなくなる事があるが、
丈吉が覚えていて、いつも教えてくれる。

「お父、お母。来たで」
まだ新しい墓石にそう声をかけて、琰は手を合わせる。

墓石の下には、琰の父親だった灘屋伝助の髪と、母親お清(せい)の灰がある。
伝助は海鮮問屋として財を成した商人だったが、その昔”土蜘蛛”という通り名を持つ御金蔵破り
でもあった。
琰の母親お清と出会い、すっぱり昔は捨てたはずだったのに、商売が傾くとともに、琰と一緒に
また悪事に手を染めるようになった。
お清は正気でなくなり、伝助と琰の悪事を嘆いて死んでいった。琰がまだ12歳になるかならない
かの頃だ。
その後も、琰は”女郎蜘蛛”の通り名を持ち、悪事の片棒を担いでいたが、15歳の時、大仕事に
しくじってひとりだけ捕まった。
自分にだけ罪を被せひとりで逃げた伝助を、琰はずっと怨みに思っていた。そして、いつか命を
奪おうと。

ほんの2年前までの話だ。
それが今では憎しみも消え、ただ安らかに母親と一緒に眠ってほしいと、願っている。

伝助に捨てられ、憎むことでしか生きていけなかった琰が、素直に親に感謝できるようになったのも、
丈吉のおかげだ。丈吉が伝助の最期を、命懸けの本当の気持ちを伝えてくれたからだ。
そして、すさんだ琰の心を、丈吉は優しく包み込んでくれた。

「次は丈さんのトコやな」
「ああ」
並んで両親の墓に手を合わせる丈吉の横顔にそう言えば、小さく頷いて立ち上がる。
すぐ近くに、丈吉の両親の墓もある。墓といっても墓石があるだけで、下には何もない。形だけだ。
丈吉はヒザをついて、手を合わせる。琰も丈吉にならって手を合わせる。

しばらく目を閉じて手を合わせていた丈吉は、ようやく立ち上がる。
「ゆっくり、話してたな」
「ああ」
「なんて、話したんや?」
そう訊けば、
「いつもと同じや。すんません、おおきに、て」

丈吉がどうして両親にすまない気持ちを持つのか、琰には少しだけわかる。
丈吉はもとは上級武士の子息。だが、理不尽な理由で両親とも亡くした。敵は討ったものの、
そのまま脱藩逐電し、今は髷をおとして生きている。
そして、法で裁けぬ悪党をゼニをもらって始末する仕事人”毘沙門天”でもある。
いくら生き抜くためとはいえ、父親から授かった銘刀”正丈(まさたけ)”で人を殺めることを、
気に病んでいるのだろう。

そのあたり、親もまた”土蜘蛛”と通り名を持つ悪党で、悪事を働いて生きてきた自分とは違って、
わりきれないのだろうと。
「丈さん、ハラ減ったな」
「せやな」
「なんぞ、美味いもんでも食うて帰ろか」
だから、なるべく明るい声でそう誘った。



せっかくだからと、いつもは寄りつけもしない格の高い料理屋の2階に部屋をとる。
障子の開け放たれた大きな窓からは、前を流れる川が見える。ちょうど日の沈む時間で、夕日の
朱と夜の紺とが川面に映っている。
「ここ、涼しいで」
「風が気持ちええな」

丈吉は胡坐をかいて、ゆったりと窓枠に片肘をついて外を見ている。
「丈さん。今日も暑かったな」
「せやな」
「なに食べる? 今日は俺のオゴリや」
「オゴリて。ええんか、こんな高そうな店」
「ええねん」
琰は頷くと、仲居を呼んで一番高いうなぎを頼む。

ほどなくして、2人前のうなぎが並ぶ。
「ほな、いただきます」
香ばしい匂いに食欲を刺激されていた琰は、手を合わせてそう言うなり、遠慮なく食べ始める。

しかし、丈吉は琰の食べる様子を見ているだけで、いっこうに箸をつけようとはしない。
「食べへんの? 美味いで」
「いや。食べるけど」
「なんや?」

顔を上げれば、真剣な目をしている。
「なに?」
「いろいろ、おおきに」
そして、わざわざ台に手をついて頭を下げる。

「うなぎひとつで、えらい感謝のされようやな」
「うなぎとちゃう。…墓のことや」
「ああ」

琰の両親の墓も丈吉の両親の墓も、琰が金を出して建てたものだ。
正確には、琰が相続した金になる。琰の父親が琰に残してくれた金だ。
琰の父親、“土蜘蛛”こと灘屋伝助は商いで成した多くの財を、自分の死んだ後、息子である琰に
残せるように、キチンと手はずを整えていてくれていたようだ。
琰と丈吉、二人でも使い切れないほどの金が残されていた。。
最初、琰は伝助の金を受け取るのをしぶったが、丈吉のすすめもあり、結局、素直に受け取った。

「墓はええねん。供養になるしな」
「せやかて、俺の両親の墓まで建ててくれて」
「それは、金を受け取る時に、ようよう話して決めたことやろ」

元を正せば、伝助の金だ。伝助の菩提を弔うために使うのが一番いいと、二人で決めた。それに、
一緒に丈吉の両親の墓まで建てたのは、丈吉のどこか後ろめたい思いを知っていた琰の、せめて
もの心遣いだ。
自分を生かしてくれている丈吉への、せめてもの感謝の気持ちだ。
だから、わざわざ礼を言われるまでもない。

「丈さんが嬉しかったら、それでええねん。せやさかい、この話はこれで終わり。さ、食べよ」
「ああ、美味そうやな」
「さっきから、美味いて言うてるやろ」
ようやくホッとした表情で食べ始めた丈吉を見て、琰は嬉しくなる。

そう、丈吉が嬉しいことが琰の嬉しいことで、丈吉の笑顔を見るのが琰の一番の望みでもある。
…本当に、俺は丈さんに惚れてるんやな。
「俺の顔に、なんぞ付いてるんか?」
自分の顔を見るばかりで、いっこうに箸の動かなくなった琰に、丈吉は顔を上げて訊く。
「ああ。ご飯つぶが」
「え」
「取ったるわ」

言って、向かいに座る丈吉の口元に付いた飯粒を取って、口に入れる。
「お、おおきに」
慌ててそう言うと、丈吉はうつむいてしまう。怒っているのではない、きっと恥ずかしいのだ。その
証拠に、耳がほんのり赤くなっている。
こんな何気ない態度で、丈吉もまた自分に心底惚れているんだと、琰は満ち足りた気分になる。

「ふふ」
丈吉と二人、こうして美味いものを食べて、お互いを身近に感じて過ごすせる時間が、琰を上機嫌に
する。
「丈さん。また、一緒に墓参りに来ような」
「ああ」
「来年もさ来年も、ずっと一緒に来ような」

「それは…」
だが、きっと笑顔で頷いてくれると思った言葉に、丈吉は顔を曇らせる。
「琰」
そして箸を置くと、まっすぐに琰の目を見る。




  2011.11.09(水)


    
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