夏も盛りの蒸し暑い夜。
丈吉(じょうきち)はいつもの仲間と、小料理屋の2階で飲んでいる。
「おい、酒や、酒が足らんで!」
「はぁい」
仲間のひとりが顔を出して階下に声をかければ、まだ15歳になったばかりの手伝いの娘が、
お銚子を持って上がってくる。

「お待ちどうさま」
「おっ、おおきに」
入り口近くに座っていた男が、立って取りに行く。
男ばかり5人の酒宴で、気心の知れた職人仲間の集まりだ。相当酒が回っているうえ、今夜は
風もなく特に蒸し暑い。
皆、とっくに着物を脱いで、胸当てに短いパッチという格好だ。

「お花もどうや?」
「え、うち仕事があるし」
「えやないか」
「けど…」
桃割れ姿も初々しい娘は、下着同然の男たちの姿に、うつむいて顔を真っ赤にしている。

「徳、そのくらいにしとき」
あんまり娘が恥ずかしそうだったので、丈吉はしつこく言い寄る若い衆にクギをさす。
「へえ」
丈吉はこの中では兄貴分にあたり、皆から一目置かれている。徳と呼ばれた若い衆は、言われて
残念そうに頭をかく。

「お花ちゃん、かんにんな。それより小唄の師匠、呼んで来てんか」
言って、小銭を握らせる。
「おおきに」
娘はそれを駄賃にと帯にはさんで、頭をさげて下りて行く。

「徳、アカンやないか。あんな小娘、困らして」
「スンマへん、兄ぃ。けどお花の奴、いつの間にか女らしゅうなったと思いまへん?」
「おお。体つきとかなぁ」
「せやせや」
下卑た笑いがドッとわく。

「なんや、徳。おまえ、お花ちゃんに気があるんか?」
「ち、違いますよ」
「丈兄ぃ。こいつ赤(あこ)なってますで」
「もぉ。三鶴(みつる)兄ぃまで」
いつもは人の好く笑顔の三鶴が、少しだけ意地の悪い顔で茶化せば、あわてて否定する。それで
また皆に冷やかされる。

「今晩はァ」
そこへ襖がサラリと開いて、小唄の師匠ことお駒(こま)が入ってくる。
「なぁに。外からでもまるわかりやわ、あんた達の騒ぎは」
「えやないか。それより、ひとつ唄でもやってんか」

「あいあい」
まったく”小股の切れ上がった美人”というのは、お駒のためにある言葉だ。今夜は浅黄色に赤い
花の咲いた着物に、派手な帯を締めている。
お駒が入って来ただけで、パッと部屋の中が明るくなったほどだ。

手早く三味線の音を合わせて、バチを持って謡いだす。
さる武家のお妾さんだとか、大店のご隠居さんに囲われているとか、口さがない連中がやっかみ
半分で噂しているが、ともあれ、お駒はこの界隈の男衆の憧れだ。

「いやぁ、師匠の唄はいつ聞いてもええなぁ」
「ホンマ。それに謡てる姿の色っぽいこと。うちのカカアに見習わせたいで」
「アホ。おまえとこのヘチャムクレと一緒にすな。丈兄ぃに悪いやないか」

「おいおい」
手酌で飲んでいた丈吉は、仲間の勝手な言いぐさに口をはさむ。
「なんや、俺に悪いて」
「せやかて、師匠と丈兄ぃはいい仲なんですやろ? 皆言うてますで」

「なにアホなこと言うてんの。そんなわけ、ないやない」
3曲終わって酒をもらいながら、お駒は笑いとばす。
「この人、ほかにちゃんといてんのよ。ねぇ、鶴やん」
「そうそう」
事情のわかっているお駒と三鶴はニヤニヤ笑うが、ほかの男衆はポカンとしている。

「この人、もう言い交わした人がいてんのよ」
「あれは子供のたわ言やないか」
丈吉の反論をおさえて、男衆は、
「天下の師匠をソデにするほどの、丈兄ぃのいい人て、なんです?」
鼻息荒く訊いてくる。

「それが、この人10年くらい前に、川に落ちて溺れかけてた女の子助けて。その子ごっつい
嬉しがって、お兄ちゃんのお嫁さんになるぅて、言うたそうやわ」
「そう。歳の頃なら十(とう)くらい。赤いベベ着た可愛い子やったそうでっせ」
お駒と三鶴の説明に、10年前の、それも口約束とわかり、皆は一様にがっかりする。

「ホホ…。可愛(かあい)い話やない」
「そおかぁ。せやさけ、丈兄ぃはええトシして所帯を持たへんのかぁ」
「アホぬかせ」
まさか自分がサカナにされるとは思わず、丈吉はたて続けに手酌でいく。

「お、せやけど、10年前に十(とう)くらいやったら、今頃はハタチやないか」
「それもそうやな」
「問題は器量やけど…」
皆いっせいに丈吉の顔を見る。丈吉はすっかり酔った赤い顔で、
「ありゃあベッピンになるで!」
言いきる。

「アカン。丈兄ぃ、酔うてるわ」
「うわぁ」
酔えば底抜けにうるさくなる丈吉のこと、皆の酔いはスーッと引いていく。

「鶴やん。ここでお開きにしよか」
「それがええですね。さ、皆ここは丈兄ぃがもつそうやさかい」
「ほな丈兄ぃ。ゴチになります」
「ほな」
時たま怖い酒になるのを知っているので、皆そそくさと帰っていく。

「さてと。俺らも帰りまひょか」
「せやな。悪いけど鶴やん、この人送っていってんか」
「へえ」
半分眠っている丈吉の重い体をよろよろ支えて、三鶴は階段を下り勘定をすませる。

「師匠。一人で帰れまっか?」
「ええ。近くやし」
「いや、三鶴、送ってけ」
いつの間に目を覚ましたのか、丈吉は酔いのまわった声で言う。

「女一人の夜道は危ないさかい。送ってけ」
「アタシなら大丈夫や。知ってるやろ」
「せや。酔うた兄ぃ一人帰すほうが、なんぼか危ない」

「アホ。めったなこと、言うんやない」
ここだけは酒の抜けた声で言われ、三鶴は口元をおさえる。
大丈夫。誰も聞いていない。

「俺はブラブラ帰るさかい」
「へぇ。ほんなら」
「おおきに。ほな鶴やん、頼まれてんか」
「ほな、兄ぃ」
「ああ」

連れだって歩く後ろ姿をしばらく見送って、丈吉は大きく息を吐く。
「俺も帰るか」
帰ると言っても、川沿いに建つあばら屋だ。空き屋だったそこに住みつき、鍛冶屋を生業にして、
もう何年経つだろう。
月明かりのなか、フラフラ歩いて帰って行く。

ちょうど小屋の前まで来た時だ。戸口に何やら黒いかたまりがある。
「ん?」
よくよく見るが、ボロ布か何かのようで、ひどい臭いだ。
誰かが勝手に捨てていったのだろうと、丈吉は軽く足先で小突く。
「てっ」
と、ゴミのはずのそれが、声を出す。

今夜は酔うてるさかいな…。丈吉は自分で自分の頭をトントン叩いて、そのまま中に入ろうとする。
「よぉ、待ってや」
足下の黒いかたまりは動いて、立ち上がる。ゴミだとばかり思っていたが、何のことはない、人間の
男だ。

「なんや?」
並んで立てば、丈吉とかわらぬくらいの長身だが、顔は暗いのと汚れているのとで、まったくわから
ない。
「おまえ、誰や?」

「あんた、かじ屋の丈吉さん?」
「そうやけど」
もう一度、ボロのかたまりのようなその姿を見るが、誰だかまったくわからない。

「ほおか。捜したで」
「ちょお、おまえ誰や?」
「俺? 琰(えん)や」
「琰?」
もちろん、記憶にない。考えているうちに琰は勝手に戸を開けて中に入ると、
「俺、疲れてんね。おやすみ」
言うなり、すり減った畳に上がりこみ、横になる。

丈吉は釈然としないながらも、酔いがまわったのと眠いのとで、そのまま並んで寝てしまった。




  2011.10.05(水)

    
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