チラリ。
黒田迅(くろだじん)は腕時計を見る。午後3時半。そろそろだ。
しょぼつく11月の雨にジャンパーの襟をたてて、後ろの舎弟に目で合図する。
計画は完璧なはずだ。その実行には僅かなミスも許されない。迅は電柱のカゲで緊張と寒さに
身を震わせ、帽子を深くかぶり直す。

もとはといえば、向こうが悪い。苦労して密輸入した宝石を確かに渡したのに、約束の金を
よこさない。
だが文句をつけようにも、相手は関西に名だたる文珠院組、こっちは吹けば飛ぶような児島組と
あっては、最初から勝負にならないことなどわかりきっている。
そこで、組の若い者が今度の計画をたてた。まだ小学生である文珠院組の四代目を誘拐し、
身代金を取るというのだ。

迅自身はこの計画には乗り気でなかったが、組のため、また刑務所でお務めをしている組長の
あとを、女手一つで守っている姐さんのため、手伝う気になった。
「アニキ」
後ろから舎弟の関が呼ぶ。
「オウ」
「そろそろでっせ」
「ああ」

吐く息が白い。手の先がこうかじかんでは上手く拳銃が握れるかどうか、心配だ。
出来れば使いたくないモンやで…。
迅はジーパンのベルトにさしている拳銃を、背中に手をまわして、そっと上から撫でさする。
少しだけ、気持ちが落ち着いたようだ。

「アニキ」
一人、むこうの角から顔を出して先を覗いていた金子が、緊張した声で呼ぶ。
「車が出ますぜ」
「よし」
用意しておいた原チャリのハンドルをギュッと握る。関は荷台に手をかけて、いつでも押せる態勢に
なっている。
ドキドキと心臓が高鳴る。
金子の手がゆっくり上げられ、サッとふりおろされる。

「行くで!」
迅はまっすぐ原チャリを押して、電柱の影から道に飛び出す。
キキーィッ!
「危ないやないかっ!」
「アホんだらァ!」

ギリギリで目的の黒塗りのベンツは急停車し、中からコワモテの男が二人出てくる。
「なんじゃおどれらァ!」
思ったとおり、文珠院組の四代目がお茶の稽古から帰るこの時間は、一番護衛の人間が少ない。

迅はニヤリと口のはしを上げる。
「文珠院組の、四代目はんですね」
「て、鉄砲玉か!」
男が頓狂な声をあげてからの迅たちの動きは、実に素早い。

いっせいに上着の懐に手をいれた男たちに、目つぶしがわりのスプレーを吹きつけ、みぞうちに
拳を叩き込む。
「ぐぅ…」
二人いた護衛が地面にくずれるより前に角から金子が飛び出し、ベンツの運転手を引きずり出して
素早く中へ入り込む。
「早よ! 乗って!」
クラクションを鳴らした金子は、迅と関が乗ったが早いか、またたく間にその場をあとにする。
ぶっつけ本番とは思えないほど見事な手際だ。

ところが大成功をおさめたはずの車内は、いやに緊張している。
それもそのはず。リアシートにふんぞりかえっていたのは三十そこそこの男で、目的とした子供の
姿などどこにもない。
「ア、アニキ」
男の横に座って拳銃を突きつけている関も当惑顔だ。

「おい」
迅は助手席から後ろを向いて、男の顔をにらみつける。
男は拳銃を突きつけられているというのに、ケロリとした顔で縁なしのメガネをかけ直す。ちょっと見、モデルか俳優と見粉うばかりの端正な顔立ちだ。
だが、ふてぶてしいまでに落ち着いた態度で、この男は文珠院組の幹部ではないかと、迅は思う。
こともあろうに人違いをしたらしい。

「どういうことや」
ゆっくりと男は訊く。人にかしずかれる事を知っている、自信にあふれた声だ。
「人違いや」
苦々しく、吐き捨てるように迅は答える。
「人違い?」
「せや。ドジふんでしもた。…けど、あんたも文珠院組の幹部やろ」
「まあ、そうや」

「アニキ、どないします?」
運転しながら金子は不安げな声を出す。
「相手が子供ならともかく、幹部なんか誘拐して」
「子供? 俺は子供と間違えられたんか?」
「せや。あんたんとこの四代目とな」
迅はかぶっていた帽子をとり、もう一度大きく吐息をつく。
「なら間違うてへん。俺が文珠院組四代目の笠原将人(かさはらまさと)や」
「え」
迅の手から帽子が落ちる。

「アホな! ウソもたいがいにしい!」
短気な関が顔を赤くして怒鳴る。
「俺の情報によると、笠原将人は小学校二年生やで! ランドセルしょって学校に通てんねんで!」
「そらガセネタやな」
憎たらしいほど落ち着いた態度で男は言う。
「証拠は?」
まだ半信半疑の迅は、男を見据えながら訊く。
「内ポケットのサイフのなかに、免許証が入ってる」
あくびでもしそうな声音で男は答える。迅は関をうながして、内ポケットからサイフを探させる。

「ありました」
受け取ったズシリと重たいワニ皮のサイフのなかには、確かに”笠原将人”と名前のはいった免許証がある。
「わかったやろ」
「ああ。…返してやれ」
関にまた元どおりサイフを内ポケットに戻させて、がっくり迅は肩を落とす。

「アニキぃ」
「どないします」
「…しゃあない。本人を誘拐したのは確かやし、このまま計画続行や」
8才の子供を誘拐するつもりが、28才の男を誘拐してしまうというアクシデントはあったが、本人で
あることには間違いないし、また今さら後戻りもできない。

「なんぼ子供のつもりやったにせよ、よりによって文珠院組の四代目を誘拐しようやなんて、無茶な
連中やな」
「俺らは児島組のモンや」
助手席に沈みこんで迅は答える。
「児島組?」
「そう。俺は黒田、その坊主頭のチビが関、こっちの金髪のヤセが金子や。知らんとは言わせ
へんで。うちとは先月宝石の取り引きをしたはずや」
「…ああ」
ようやく思い出したようだ。

「これであんたにも自分がどうして誘拐されたか、わかったやろ。…黙らせろ」
「失礼します」
関は手早く男の両手を後にまわして手錠をかけ、猿ぐつわをかませ、目かくしまでする。
「耳栓もや。…あんたは言わば大事な人質やさけ手荒な扱いはせえへんけど、ちょっとでも妙な
動き見せたら容赦せんさかいな。関、耳栓」






  2011.07.04(月)


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